物と空間のあいだで起きたこと 前橋の diff で開催した個展「Rooms」を終えた。今回は、会期中に起きたことをいつも以上に記録しておきたいと思っている。展示が無事に終わったという事実よりも、その場で何が起き、何が変わり、何が残ったのかの方に、強く惹かれているからだ。 今回の展示では、Roomという言葉をひとつの軸にした。Room とは、人・物・環境の相互作用によって一時的に形づくられる佇まいのこと。diff にある二つの空間を、ひらかれた場と、制作の気配が残る場として構成し、そのあいだを行き来してもらう展示だった。 ただ、終わってみて強く感じているのは、こちらがつくった二つのRoomだけではなく、来場者の中にも、そのつど別のRoomが立ち上がっていたのではないか、ということだ。 設計するというより、応答しながら整っていった 設営の日、棚には浅見さんが制作してくれた鉄製の台座が並んでいた。革石のための台座で、高さの異なるものが高さ順に整然と置かれている。そこに猪俣さんが木製の台座を並べ始めた。こちらは高さを揃えずランダムに。さらにそこへ、黒色と生成色、二種類の革石をランダムに置いていった。 最終的にできたのは、規則的でもあり偶然的でもあるディスプレーだった。鉄、木、石、革という素材の違いがあって高さにも揺らぎがある。当初はもっと均等に、色や素材の対応関係もある程度固定して並べるイメージを持っていた。けれど、実際に空間の中で立ち上がった感覚の良さを優先して、その場でプランを変えた。 あとから考えると、このディスプレーの立ち上がり方は、今回の展示全体をよく表していたと思う。誰か一人の完成予想図をそのまま実現したわけではない。複数人の判断がその場で応答し合い、少しずつ調整されながらかたちになっていった。空間が「設計された」というより、「セッションのように整っていった」という感覚が強く残っている。 作業場を再現するのではなく、作業が成り立つ状態を置く 奥の空間には作業台を置くことを最初から決めていた。ただし、その置き方には最後まで迷いがあった。壁に寄せるか、開口部に向けるか。実際に置いてみると、来訪者に正対するような向きにも、背を向ける向きにも違和感があった。開口部には水場の痕跡があり、それを真正面で眺めるかたちになるのも、なぜか抵抗があった。 最終的には、普段の作業スペースで使っている机と同じように、横から光を受ける向きに作業台を置いた。正面の壁に対して直角に、空間を左右に分けるように長手方向に。壁の手前にあった鉄の什器を本棚に見立てて蔵書を置き、さらにその手前正面に作業台を連ねた。そうすると、空間の中に一本の軸のようなものが生まれた。 この空間でつくりたかったのは、作業部屋の正確な再現ではない。むしろ、もし自分が diff の奥の空間で本当に作業をするとしたら、何をそばに置き、どういう状態にするだろうか、という仮説だった。だから、作業台の上には普段の制作に必要な道具や、机まわりにある置き物を置き、足元には箱やノートを積み重ねた。壁には、今回のビジュアル制作のための下絵やメモ、普段の作業スペースにある紙のオブジェなどを貼った。 全部が露出しているわけではなくても、そこにあるという事実は大きかったと思う。雰囲気としての作業場ではなく、作業可能な状態が実際にある。その物理的な裏付けが、空間の見え方や、こちらの話し方にまで作用していたように感じている。 壁に貼られた紙は、感想の集積というより小さな文化圏だった 奥の空間では、来訪者に紙を書いてもらった。その場で感じたこと、興味を持ったもの、連想したことなどを自由に書き、壁に貼ってもらう。紙はノートに使っているものと同じものにし、その束の上にはペーパーウェイトのように革石を置いた。自然と革石に触れ、紙の筆記感を確かめることになる。 当初は文と日付だけでよいと思っていた。けれど、最初に書いてくれた人が気になった対象を絵で示し、その横に短い言葉を添えた。すると、そのあとに続く人たちの多くがその形式をなぞり始めた。さらに途中からは、貼る位置も来場者自身が決め始めた。 面白かったのは、自然に二つの流れが生まれたことだった。絵を中心に短く書く人たちと、少し離れた場所に長めの文章を書く人たち。最初はゆるく分かれていたそれが、最終日には空白が埋まり、一つの塊になっていった。 自由に書いてよいと言っても、本当に自由にはならない。最初に現れた振る舞いが、その場の基準になる。人はそこで、何を書いてよいかだけでなく、どう振る舞ってよいかも学んでいる。壁に貼られた紙は、感想の寄せ書きというより、その場で形成された小さな文化圏の記録だったと思う。 同時に、感じたことをそのまま言葉にすることの難しさも見えた。会話では深く話せる人が、紙にはほとんど書けないこともある。絵には視点がよく現れる人もいれば、絵に抵抗がある人もいる。人は感じていても、それを同じ方法では表せない。 今回見えていたのは、その差そのものだった。 人は、意味が決まりきっていない物に自分の経験を差し込む 作業場には、猪俣さんと浅見さんそれぞれの工房や工場から出た端切れを集めた、テイクフリーの箱も置いていた。これがとても面白かった。説明した瞬間に、皆の目つきが変わる。急に真剣に探し始める。そして選んだあと、なぜそれを取ったのかを聞くと、とても具体的な答えが返ってくる。ジュエリーを載せるのにちょうどよさそう、フックとして壁に取り付けたい、何かの土台になるかもしれない、など。 物の方から意味を説明しているわけではない。むしろ意味が固定されていないからこそ、人の側が用途や記憶を接続していく。これは革石や箱にもかなり近い。完成した目的物として受け取られるよりも、まだ何かになりうる物である方が、自分の経験を差し込みやすいのだと思う。 そのことを象徴するような出来事もあった。今回の革石を購入してくれた最年少のお客様。近隣に住む少年で、以前から diff の前を通るたび、陳列している物に興味を持ち、特に貴重とされるものに強く反応していたらしい。その彼が今回は小さな革石をずっと手にしていた。両親が取り合わなくても手放さず、一貫してそれがいいと言い続けていた。最終的には彼の父親自身もその革石を気に入り、彼は革石を手に入れた。 子どもが革石に興味を示すこと自体はこれまでもあった。けれど、あそこまで執着を持って手放さないのを見たのは初めてだった。革石は、説明して理解される前に、まず手の中で判断される物なのだと思う。 空間の往復で、見え方が変わっていた 今回、手前の空間を見るだけで終える人よりも、ひととおり品物を見たあとに奥の作業場に移り、制作の背景を見て説明を聞き、他の来訪者が残した紙を読み、そのうえでもう一度手前の空間に戻る人が多かった。 その時の変化はかなりはっきりしていた。最初はそこまで強く関心を示していなかった人が、作業場を経て戻ってくると、見方が変わったと言うことが何度もあった。そして実際、その後に購入していただくことも多かった。 奥の空間にある作業場は、単なる補足説明の場ではなかったのだと思う。背景を見せることで、価値の見え方そのものが変わる。場を分け、そのあいだを往復することは、思想の提示であると同時に、見え方を変える導線でもあった。 ブックエンドと古書が加えたもの 今回、浅見さんと協業したブックエンドの試作制作も印象深いものとなった。 特によかったのは、仕上げの細かな加減を浅見さんに委ねられたことだった。こちらが提示したのは「どこを見るか」という焦点で、仕上げの良し悪しの判断そのものは浅見さんの領域にあった。そのやり方がうまくいった。使っている方法自体は特別珍しいものではないのに、その普通の方法をどこでどう効かせるかで、見え方はずいぶん変わる。新しい技法を発明したのではなく、既知の方法の焦点をずらしたことが効いていたのだと思う。 suiran 土屋さんによる古書も、空間に厚みを加えてくれた。 画集、写真集、エッセイ、短編集。ジャンルも著者も装丁の雰囲気も別々のものなのに、並べてみると空間にきれいに馴染む。また、事前に擦り合わせた訳ではないのに、Journalで以前紹介したことがある中谷宇吉郎の著書がラインナップされているという嬉しい偶然もあった。古書は薄いグラシン紙に包まれることでオブジェクトとしての魅力が高まっているように感じた。選書によって知識と情緒が空間に与えられ、展示をより深く堪能してもらうことができたように感じている。 前橋で、単独でやること 前橋での展示は二度目だった。前回は WRITE&DRAW. との二人展で、今回は単独。初回ほどの新鮮さがないぶん、前回来てくださった方にもう一度足を運んでもらう工夫が必要だと感じていた。 そのために、新仕様や前橋初出の革石、ブックエンド、古書、作業場のインスタレーションなどを企画した。来てもらうための施策という意味では課題も多かったと思う。けれど、FROMEの活動を普段から気にかけてくれる方々が、単に「また来た」のではなく、作業場やブックエンドに反応してくれたことはとても意味が大きかった。前回とは別の理由で見に来てもらうという点で一定の手応えがあったと感じている。 個人的に、春分の日は前橋を離れ、東京での生活を始めた日でもあった。普段はあまり見せない「裏」までひらいてみようと思えたのは、やはり場所の作用があったのだと思う。前橋という縁のある土地が、少しの隙を見せることを許してくれた。 記録として残したいもの 今回の展示では、終わってからも記録に残したいという欲が強い。それは、展示の成否というよりも、そこで起きたことに強く惹かれているからだと思う。 他者の部屋に入ったとき、人はその空間や物を、そのまま受け取るわけではない。自分の記憶や感情を通して見て、そこで立ち上がったものを紙に書き、壁に残し、また別の人がそれを見る。今回起きていたのは、たぶんそういう小さな循環だった。 会期中、diff の二つの空間だけでなく、来訪者の中にも、そのつど別々のRoomが立ち上がっていたのだと思う。まだ言葉になりきっていないことは多いけれど、その残り方も含めて、今回の展示の一部として覚えておきたい。
個展「Rooms」の記録
物と空間のあいだで起きたこと
前橋の diff で開催した個展「Rooms」を終えた。
今回は、会期中に起きたことをいつも以上に記録しておきたいと思っている。
展示が無事に終わったという事実よりも、その場で何が起き、何が変わり、何が残ったのかの方に、強く惹かれているからだ。
今回の展示では、Roomという言葉をひとつの軸にした。
Room とは、人・物・環境の相互作用によって一時的に形づくられる佇まいのこと。
diff にある二つの空間を、ひらかれた場と、制作の気配が残る場として構成し、そのあいだを行き来してもらう展示だった。
ただ、終わってみて強く感じているのは、こちらがつくった二つのRoomだけではなく、来場者の中にも、そのつど別のRoomが立ち上がっていたのではないか、ということだ。
設計するというより、応答しながら整っていった
設営の日、棚には浅見さんが制作してくれた鉄製の台座が並んでいた。
革石のための台座で、高さの異なるものが高さ順に整然と置かれている。
そこに猪俣さんが木製の台座を並べ始めた。こちらは高さを揃えずランダムに。
さらにそこへ、黒色と生成色、二種類の革石をランダムに置いていった。
最終的にできたのは、規則的でもあり偶然的でもあるディスプレーだった。
鉄、木、石、革という素材の違いがあって高さにも揺らぎがある。
当初はもっと均等に、色や素材の対応関係もある程度固定して並べるイメージを持っていた。
けれど、実際に空間の中で立ち上がった感覚の良さを優先して、その場でプランを変えた。
あとから考えると、このディスプレーの立ち上がり方は、今回の展示全体をよく表していたと思う。
誰か一人の完成予想図をそのまま実現したわけではない。
複数人の判断がその場で応答し合い、少しずつ調整されながらかたちになっていった。
空間が「設計された」というより、「セッションのように整っていった」という感覚が強く残っている。
作業場を再現するのではなく、作業が成り立つ状態を置く
奥の空間には作業台を置くことを最初から決めていた。
ただし、その置き方には最後まで迷いがあった。壁に寄せるか、開口部に向けるか。
実際に置いてみると、来訪者に正対するような向きにも、背を向ける向きにも違和感があった。
開口部には水場の痕跡があり、それを真正面で眺めるかたちになるのも、なぜか抵抗があった。
最終的には、普段の作業スペースで使っている机と同じように、横から光を受ける向きに作業台を置いた。
正面の壁に対して直角に、空間を左右に分けるように長手方向に。
壁の手前にあった鉄の什器を本棚に見立てて蔵書を置き、さらにその手前正面に作業台を連ねた。
そうすると、空間の中に一本の軸のようなものが生まれた。
この空間でつくりたかったのは、作業部屋の正確な再現ではない。
むしろ、もし自分が diff の奥の空間で本当に作業をするとしたら、何をそばに置き、どういう状態にするだろうか、という仮説だった。
だから、作業台の上には普段の制作に必要な道具や、机まわりにある置き物を置き、足元には箱やノートを積み重ねた。
壁には、今回のビジュアル制作のための下絵やメモ、普段の作業スペースにある紙のオブジェなどを貼った。
全部が露出しているわけではなくても、そこにあるという事実は大きかったと思う。
雰囲気としての作業場ではなく、作業可能な状態が実際にある。
その物理的な裏付けが、空間の見え方や、こちらの話し方にまで作用していたように感じている。
壁に貼られた紙は、感想の集積というより小さな文化圏だった
奥の空間では、来訪者に紙を書いてもらった。
その場で感じたこと、興味を持ったもの、連想したことなどを自由に書き、壁に貼ってもらう。
紙はノートに使っているものと同じものにし、その束の上にはペーパーウェイトのように革石を置いた。
自然と革石に触れ、紙の筆記感を確かめることになる。
当初は文と日付だけでよいと思っていた。
けれど、最初に書いてくれた人が気になった対象を絵で示し、その横に短い言葉を添えた。
すると、そのあとに続く人たちの多くがその形式をなぞり始めた。
さらに途中からは、貼る位置も来場者自身が決め始めた。
面白かったのは、自然に二つの流れが生まれたことだった。
絵を中心に短く書く人たちと、少し離れた場所に長めの文章を書く人たち。
最初はゆるく分かれていたそれが、最終日には空白が埋まり、一つの塊になっていった。
自由に書いてよいと言っても、本当に自由にはならない。
最初に現れた振る舞いが、その場の基準になる。
人はそこで、何を書いてよいかだけでなく、どう振る舞ってよいかも学んでいる。
壁に貼られた紙は、感想の寄せ書きというより、その場で形成された小さな文化圏の記録だったと思う。
同時に、感じたことをそのまま言葉にすることの難しさも見えた。
会話では深く話せる人が、紙にはほとんど書けないこともある。
絵には視点がよく現れる人もいれば、絵に抵抗がある人もいる。
人は感じていても、それを同じ方法では表せない。 今回見えていたのは、その差そのものだった。
人は、意味が決まりきっていない物に自分の経験を差し込む
作業場には、猪俣さんと浅見さんそれぞれの工房や工場から出た端切れを集めた、テイクフリーの箱も置いていた。
これがとても面白かった。説明した瞬間に、皆の目つきが変わる。急に真剣に探し始める。
そして選んだあと、なぜそれを取ったのかを聞くと、とても具体的な答えが返ってくる。
ジュエリーを載せるのにちょうどよさそう、フックとして壁に取り付けたい、何かの土台になるかもしれない、など。
物の方から意味を説明しているわけではない。
むしろ意味が固定されていないからこそ、人の側が用途や記憶を接続していく。これは革石や箱にもかなり近い。
完成した目的物として受け取られるよりも、まだ何かになりうる物である方が、自分の経験を差し込みやすいのだと思う。
そのことを象徴するような出来事もあった。
今回の革石を購入してくれた最年少のお客様。
近隣に住む少年で、以前から diff の前を通るたび、陳列している物に興味を持ち、特に貴重とされるものに強く反応していたらしい。
その彼が今回は小さな革石をずっと手にしていた。
両親が取り合わなくても手放さず、一貫してそれがいいと言い続けていた。
最終的には彼の父親自身もその革石を気に入り、彼は革石を手に入れた。
子どもが革石に興味を示すこと自体はこれまでもあった。
けれど、あそこまで執着を持って手放さないのを見たのは初めてだった。
革石は、説明して理解される前に、まず手の中で判断される物なのだと思う。
空間の往復で、見え方が変わっていた
今回、手前の空間を見るだけで終える人よりも、ひととおり品物を見たあとに奥の作業場に移り、制作の背景を見て説明を聞き、他の来訪者が残した紙を読み、そのうえでもう一度手前の空間に戻る人が多かった。
その時の変化はかなりはっきりしていた。
最初はそこまで強く関心を示していなかった人が、作業場を経て戻ってくると、見方が変わったと言うことが何度もあった。そして実際、その後に購入していただくことも多かった。
奥の空間にある作業場は、単なる補足説明の場ではなかったのだと思う。
背景を見せることで、価値の見え方そのものが変わる。
場を分け、そのあいだを往復することは、思想の提示であると同時に、見え方を変える導線でもあった。
ブックエンドと古書が加えたもの
今回、浅見さんと協業したブックエンドの試作制作も印象深いものとなった。
特によかったのは、仕上げの細かな加減を浅見さんに委ねられたことだった。
こちらが提示したのは「どこを見るか」という焦点で、仕上げの良し悪しの判断そのものは浅見さんの領域にあった。そのやり方がうまくいった。
使っている方法自体は特別珍しいものではないのに、その普通の方法をどこでどう効かせるかで、見え方はずいぶん変わる。
新しい技法を発明したのではなく、既知の方法の焦点をずらしたことが効いていたのだと思う。
suiran 土屋さんによる古書も、空間に厚みを加えてくれた。
画集、写真集、エッセイ、短編集。
ジャンルも著者も装丁の雰囲気も別々のものなのに、並べてみると空間にきれいに馴染む。
また、事前に擦り合わせた訳ではないのに、Journalで以前紹介したことがある中谷宇吉郎の著書がラインナップされているという嬉しい偶然もあった。
古書は薄いグラシン紙に包まれることでオブジェクトとしての魅力が高まっているように感じた。
選書によって知識と情緒が空間に与えられ、展示をより深く堪能してもらうことができたように感じている。
前橋で、単独でやること
前橋での展示は二度目だった。前回は WRITE&DRAW. との二人展で、今回は単独。
初回ほどの新鮮さがないぶん、前回来てくださった方にもう一度足を運んでもらう工夫が必要だと感じていた。
そのために、新仕様や前橋初出の革石、ブックエンド、古書、作業場のインスタレーションなどを企画した。
来てもらうための施策という意味では課題も多かったと思う。
けれど、FROMEの活動を普段から気にかけてくれる方々が、単に「また来た」のではなく、作業場やブックエンドに反応してくれたことはとても意味が大きかった。
前回とは別の理由で見に来てもらうという点で一定の手応えがあったと感じている。
個人的に、春分の日は前橋を離れ、東京での生活を始めた日でもあった。
普段はあまり見せない「裏」までひらいてみようと思えたのは、やはり場所の作用があったのだと思う。
前橋という縁のある土地が、少しの隙を見せることを許してくれた。
記録として残したいもの
今回の展示では、終わってからも記録に残したいという欲が強い。
それは、展示の成否というよりも、そこで起きたことに強く惹かれているからだと思う。
他者の部屋に入ったとき、人はその空間や物を、そのまま受け取るわけではない。
自分の記憶や感情を通して見て、そこで立ち上がったものを紙に書き、壁に残し、また別の人がそれを見る。
今回起きていたのは、たぶんそういう小さな循環だった。
会期中、diff の二つの空間だけでなく、来訪者の中にも、そのつど別々のRoomが立ち上がっていたのだと思う。
まだ言葉になりきっていないことは多いけれど、その残り方も含めて、今回の展示の一部として覚えておきたい。
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