Perspective(パースペクティブ)は、プロダクトを介したコミュニケーションによって、物事を多角的・俯瞰的に捉えるプロジェクトです。 第1回はインテリアデザイナーの神田慶太さんにお話を伺いました。神田さんにとって Leather Wrapped Stone(以下「革石」)はどのようなものなのか。浅草橋にある事務所を訪ねました。ちょうどいい関係性 革石はどのように使っていますか? 普段は自宅でオブジェとして置いていて、たまに手に取っています。デスクに置いて常に触るのもいいなと思いつつ、たまに触れるくらいの関係性がちょうどいい。 革のものは触れるのが楽しいですよね。定期的に触っていると艶が出て。何というか、革のものは油を染み込ませて育てたくなる。サッカーをしていた頃はスパイクを磨くのが好きだったんですよ。試合前に本革製のスパイクを光るくらい綺麗に磨き上げて。もう少し年齢を重ねてからは革靴を磨くのが楽しくて。メンテナンスは気が向いた時にするくらいなんですけど、革を磨くのって落ち着つくんです。愛情が深まるし、革に良いことをしてる感じもあって、なおかつ結果がすぐに見える。 たしかに革のメンテナンスは夢中でやってしまいますね。 もともと、頭をずっとオンの状態にしてしまう癖があって。思考し続けるから寝てても仕事に追われる夢を見たりしがちなんです。だからなのか、黙々と没頭できる作業はすごく好き。無心で手を動かしていれば何かしらの結果を伴うし、リラックスできるのかもしれないな。 革石もメンテナンスを? 革石には何度かオイルを入れました。でも回数は少なめ。メンテナンス用のオイルを染み込ませるよりも、たまに手で触って自分の油を染み込ませたいと思っています。笑受け皿のようなもの 革石の魅力はなんでしょうか? 革石って受け皿のような感じがいいですよね。受け取られ方に幅がある。例えば革石を誰かに贈るとして、贈るものは石でも革製品でもない。誰かに紹介するとして、石が中に入っていることを説明したら、どんな石が入ってるんだろう、何で石を入れたんだろうって考えたりする。革で包まれていない、ありのままの石の状態からでも色々なことは想像できるけど、石が包まれて見えないからこそ想像が膨らむというか。手に取って楽しむ人もいれば、ペーパーウェイトにする人もいるだろうし、受け取った人の感性によってそれぞれが何かを見出せるところが面白い。 先ほどからずっと革石を撫でていますね。笑 この革一枚で表裏が繋がってるところとか、繋がっているところからコバにかけてのラインが好きなんですよね。設計の図面では書けなさそうなラインが良いんだよなぁ。今求められていること 革石はこの持ち方(側面を親指と人差し指で持ち、そこ面を中指で支える)がしっくりします。石の裏側も含めて全体的に手にフィットするんですよ。投げたくなるというか。 水切りの石みたいな。 そうそう。実際には投げないけれど。笑 でもこうやって触っていると落ち着くポジションがありますよね。そういう意味では表裏があるのかな。いまフィットしてる状態はA面で、B面は少し違和感があるというか。落ち着くポジションを探してずっと動かしていられそうな気がします。 不意の形、意識的に作られていない形だから気になるのかもしれません。 あとは分かりやすく自然物であることも良いのかも。自分からある程度距離を置ける感じ。今っぽさ、ていうことかもしれないですけど、自然であることとか、作り切らない、操作しすぎないとか。 今を表す言葉ですね。 ちょっと言い過ぎもしれないけれど、みんな疲れてるんじゃないかな。作られ過ぎたものに。だから自然にできたものだとスッと入りやすいというか。人が作るものは意図や技術が表面に出てきやすいし、革石も石の形が意図的にデザインされていたら、もしかしたら今とは違う感じ方をしていたかもしれない。 自然の造形には勝てないって感覚は、人が昔から持っている普遍的なものだと感じるんです。ものを作ろうとする時にもその感覚はあって無条件で肯定してしまう。 インテリアデザインでも今は無垢なものや風合いの良さが好まれる傾向があって。自然なものをいかに使うかっていうのは、今求められていることだと思います。物は「いる」 小さな頃は、物を擬人化して捉えていた記憶があります。すごく愛でていたから壊れるのはすごく嫌だったし、物に対しては「ある」じゃなくて「いる」って言ったりしていました。なんとなく、物は生きているって思って接していたんでしょうね。だから物を雑に扱う人は苦手で。とは言え、自分も丁寧な人間じゃないからあまり人のことは言えないんですけどね。物が痛がることはあまりしたくない感覚はずっとあるかな。 家への愛着も強かった気がしますね。小学校高学年くらいになって、祖父の家がいつかは無くなるものだと分かるとそれがすごく嫌で。愛着というか執着みたいなものは昔からですね。 勝手な要望なんですけど、自分が持っている石を革で包んでもらいたいな。思い入れのある場所にあった石とかで。 それは責任重大ですね。 個人的な話になるけれど、自分の実家は代替わりしたら無くなるだろうと思っていて。無くなることが分かっているなら、そこの石を使って革石にしておきたいというか。まあ別に革石にせずに置いとけばいいじゃんって話なんですけど。笑 でもやっぱり石そのままだったらあまり触らないですよね。触っていたいという意味では、やっぱり革の質感に包まれていて欲しい気がします。神田慶太Kanda Keita インテリアデザイナー。店舗や住宅の空間デザインを手掛ける設計事務所「phyle」代表。企画・製作・販売までを自社で行うプロダクトレーベル「BP.」も展開している。 Instagram: @phyle_inchttp://www.phyle-inc.com/ Instagram: @bp_phylehttps://bptokyo.official.ec/Edit and Photograph: Shioda Yuya
Perspective: Vol.1 インテリアデザイナー 神田慶太
Perspective(パースペクティブ)は、プロダクトを介したコミュニケーションによって、物事を多角的・俯瞰的に捉えるプロジェクトです。
第1回はインテリアデザイナーの神田慶太さんにお話を伺いました。神田さんにとって Leather Wrapped Stone(以下「革石」)はどのようなものなのか。浅草橋にある事務所を訪ねました。
ちょうどいい関係性
革石はどのように使っていますか?
普段は自宅でオブジェとして置いていて、たまに手に取っています。デスクに置いて常に触るのもいいなと思いつつ、たまに触れるくらいの関係性がちょうどいい。
革のものは触れるのが楽しいですよね。定期的に触っていると艶が出て。何というか、革のものは油を染み込ませて育てたくなる。サッカーをしていた頃はスパイクを磨くのが好きだったんですよ。試合前に本革製のスパイクを光るくらい綺麗に磨き上げて。もう少し年齢を重ねてからは革靴を磨くのが楽しくて。メンテナンスは気が向いた時にするくらいなんですけど、革を磨くのって落ち着つくんです。愛情が深まるし、革に良いことをしてる感じもあって、なおかつ結果がすぐに見える。
たしかに革のメンテナンスは夢中でやってしまいますね。
もともと、頭をずっとオンの状態にしてしまう癖があって。思考し続けるから寝てても仕事に追われる夢を見たりしがちなんです。だからなのか、黙々と没頭できる作業はすごく好き。無心で手を動かしていれば何かしらの結果を伴うし、リラックスできるのかもしれないな。
革石もメンテナンスを?
革石には何度かオイルを入れました。でも回数は少なめ。メンテナンス用のオイルを染み込ませるよりも、たまに手で触って自分の油を染み込ませたいと思っています。笑
受け皿のようなもの
革石の魅力はなんでしょうか?
革石って受け皿のような感じがいいですよね。受け取られ方に幅がある。例えば革石を誰かに贈るとして、贈るものは石でも革製品でもない。誰かに紹介するとして、石が中に入っていることを説明したら、どんな石が入ってるんだろう、何で石を入れたんだろうって考えたりする。革で包まれていない、ありのままの石の状態からでも色々なことは想像できるけど、石が包まれて見えないからこそ想像が膨らむというか。手に取って楽しむ人もいれば、ペーパーウェイトにする人もいるだろうし、受け取った人の感性によってそれぞれが何かを見出せるところが面白い。
先ほどからずっと革石を撫でていますね。笑
この革一枚で表裏が繋がってるところとか、繋がっているところからコバにかけてのラインが好きなんですよね。設計の図面では書けなさそうなラインが良いんだよなぁ。
今求められていること
革石はこの持ち方(側面を親指と人差し指で持ち、そこ面を中指で支える)がしっくりします。石の裏側も含めて全体的に手にフィットするんですよ。投げたくなるというか。
水切りの石みたいな。
そうそう。実際には投げないけれど。笑 でもこうやって触っていると落ち着くポジションがありますよね。そういう意味では表裏があるのかな。いまフィットしてる状態はA面で、B面は少し違和感があるというか。落ち着くポジションを探してずっと動かしていられそうな気がします。
不意の形、意識的に作られていない形だから気になるのかもしれません。
あとは分かりやすく自然物であることも良いのかも。自分からある程度距離を置ける感じ。今っぽさ、ていうことかもしれないですけど、自然であることとか、作り切らない、操作しすぎないとか。
今を表す言葉ですね。
ちょっと言い過ぎもしれないけれど、みんな疲れてるんじゃないかな。作られ過ぎたものに。だから自然にできたものだとスッと入りやすいというか。人が作るものは意図や技術が表面に出てきやすいし、革石も石の形が意図的にデザインされていたら、もしかしたら今とは違う感じ方をしていたかもしれない。
自然の造形には勝てないって感覚は、人が昔から持っている普遍的なものだと感じるんです。ものを作ろうとする時にもその感覚はあって無条件で肯定してしまう。
インテリアデザインでも今は無垢なものや風合いの良さが好まれる傾向があって。自然なものをいかに使うかっていうのは、今求められていることだと思います。
物は「いる」
小さな頃は、物を擬人化して捉えていた記憶があります。すごく愛でていたから壊れるのはすごく嫌だったし、物に対しては「ある」じゃなくて「いる」って言ったりしていました。なんとなく、物は生きているって思って接していたんでしょうね。だから物を雑に扱う人は苦手で。とは言え、自分も丁寧な人間じゃないからあまり人のことは言えないんですけどね。物が痛がることはあまりしたくない感覚はずっとあるかな。
家への愛着も強かった気がしますね。小学校高学年くらいになって、祖父の家がいつかは無くなるものだと分かるとそれがすごく嫌で。愛着というか執着みたいなものは昔からですね。
勝手な要望なんですけど、自分が持っている石を革で包んでもらいたいな。思い入れのある場所にあった石とかで。
それは責任重大ですね。
個人的な話になるけれど、自分の実家は代替わりしたら無くなるだろうと思っていて。無くなることが分かっているなら、そこの石を使って革石にしておきたいというか。まあ別に革石にせずに置いとけばいいじゃんって話なんですけど。笑
でもやっぱり石そのままだったらあまり触らないですよね。触っていたいという意味では、やっぱり革の質感に包まれていて欲しい気がします。
神田慶太
Kanda Keita
インテリアデザイナー。店舗や住宅の空間デザインを手掛ける設計事務所「phyle」代表。企画・製作・販売までを自社で行うプロダクトレーベル「BP.」も展開している。
Instagram: @phyle_inc
http://www.phyle-inc.com/
Instagram: @bp_phyle
https://bptokyo.official.ec/
Edit and Photograph: Shioda Yuya
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